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2016-09-30

身体にある神秘


サイキックマッサージの視点

身体にある神秘

 

身体にある瞑想性

ぼくは以前から自然療法に興味を持っていました。そんなこともあって人間の全体性とか、心と体はひとつであるというアイデアには馴染みがありました。つまり人間とはひとつであるという考えです。

 

サイキックマッサージを学び始めたときに、人間の身体にはいくつかの瞑想性が分かれて存在しているという話を聞いたとき「えっ!そうなんだ!」と正直驚きました。

 

人の身体と瞑想の体験につながりがあること、瞑想の質が身体に影響を与えることには違和感はありませんでした。なぜなら、リラックスした心にはリラックスした身体があり、静かさを携えた心には静かな身体がある。瞑想的な心には瞑想的な身体ある…そこには自然なつながりを感じることができました。

 

それらは〝人間はひとつ〟という考えとは矛盾しませんでした。瞑想の体験に浅い深いはあったとしても、ひとりの人間にひとつの瞑想(の質)であると思っていたからです。

 

ところが、サイキックマッサージを学び始めたときに、身体は瞑想的な部分とそうでない部分に分かれていると聞いて驚きました。身体のなかには瞑想とつながりが深い部分とそうでない部分があるというのです。瞑想という視点からみれば身体は分裂しているのです。

 

しかし、身体のエネルギーリーディングについて学び、その体験を重ねていくうちに考えに変化が現れてきました。

 

普段の生活を振り返ってみても、喜びや心地よさ、怒りや疲れは身体のそれぞれの部分に現れます。たとえば足が軽くなったり肩が凝ったり、ハートが温かくなることもあれば、胸騒ぎや胸が締めつけられるような思いもあります。腹から笑うこともあれば、腹を立てることもあります。つまり身体の各部はそれぞれ感情とつながりを持っているのです。だとしたら瞑想と身体とのつながりはどうでしょうか。

 

本来、人間という存在はひとつであったとしても、現状はどうでしょうか。自分のことを省みても、思いや感情、心の状態は四方に飛び散っています。たぶんエンライトメント(悟りを得た人)した人であれば、その存在はひとつでしょう。しかし、そうでなければ、その存在は分裂しています。

 

サイキックマッサージを初めて体験したとき、これは「魂と肉体の調和だな」と思いました。そんなに身体にガンガンくるわけではないのですが、終わったあとの整った感覚が印象的でした。加えてぼくの場合はセッションギバー(与え手)との会話で受け取った〝自分にとっての真実〟はこれまで気付くことのなかった自分に意識を向けることができました。

 

今のぼくにとって〝身体にある神秘〟は探求のテーマです。レイキや東洋医学と同様にサイキックマッサージには、それを探る糸口、ルートがありそうです。

2016年10月7-8日
サイキックマッサージを2日間で学ぶインテンシブグループが東京中野で開催されます。

画像は神奈川県相模原市緑区、旧藤野町にあるふじのアートヴィレッジにある mayu mooja さんの作品からです。

 

 

 


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